上高地「協働型管理を進める地域づくり」
~変化に順応すること・共に進むこと~
アルプス山岳郷を代表する景勝地・上高地は、中部山岳国立公園の一部で、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)にも指定されています。例年グリーンシーズン中は多くの観光客で賑わうだけでなく、アルピニストが憧れる槍・穂高連峰への入り口として、登山客にとっても特別な場所です。
今回は、中部山岳国立公園上高地管理官事務所 国立公園管理官の大嶋達也さんに上高地の今について現地で話をお聞きしました。
△上高地を担当する国立公園管理官 大嶋達也さん
上高地ビジョンの今
例年ならば、日本国内だけでなく世界各地からの団体観光客・個人観光客で大賑わいの上高地。取材に訪れた9月末のある日、河童橋付近から紅葉の見頃を迎える穂高連峰を見上げる観光客の姿はそれなりにあるものの、その数はコロナ禍の影響で極端に少ない様子。
大嶋さんには、昨年もお話を聞く機会があったのですが、その際に教えていただいた『上高地ビジョン』の今について、まずはお聞きしました。
※上高地ビジョンとは…上高地の現状や課題、目指すべき姿、それぞれの取組内容等を共有し、上高地に関わる多様な関係者の連携・協働をより一層進めるため、平成24年3月に「中部山岳国立公園上高地連絡協議会」が策定したもの
◇上高地ビジョン2014
http://chubu.env.go.jp/shinetsu/mat150113_1.pdf
◇昨年の大嶋さん取材記事
「地域の理想を形にし、自然との共生を意識するきっかけをつくる」
△河童橋のたもとで梓川を眺めながら
楓「昨年見せていただいた上高地ビジョンには、上高地の目指すべき方向性に向かって、たくさんの具体的な取組みがまとめられていました。今現在、例えばどんな取組みが活発に動いているのでしょうか。」
大嶋さん「例えば梓川の河床上昇に対する対応の検討について、環境省を中心とした関係行政機関が団結して進めています。また、徳沢・横尾地区への管理用道路の整備・維持管理についても緊急度が高い事項のため、こちらは松本市が中心になって進めてくれています。それから、梓川左岸歩道の整備・維持管理については、管理者を決めようということで動いています。」
楓「目の前に梓川が流れていますが、一つ目の河床上昇については、今どんな段階にあるのでしょうか。また上昇していく河床に対する対策として、どんなことを検討されているのでしょう。」
大嶋さん「この梓川の河床は、上流や支川から流れてくる土砂の堆積のために、ビジョンが策定された頃の7年間だけでも平均 0.27m 上昇していたそうですが、50年以上前から、増水時の上高地各施設への浸水被害が懸念されてきました。最近では、支川にかかった橋のクリアランスが小さくなってきて、荒天時には越水する危険もあります。一方で国立公園や特別名勝・特別天然記念物という特性上、単純に人工的な対応策はとれず、長年議論が膠着してきました。国立公園は自然風景や生物多様性の保護だけでなく利用されて初めて意義のあるものだと法律にも書かれていますが、このバランスをとることが永遠のテーマだと思っています。上高地だけでなく全国や世界中の国立公園でも同じような悩みを抱えているのではないでしょうか。上高地では、上高地ビジョンが策定され、関係者が役割分担や課題の本質、取組の展望について認識を共有することで、徐々にですが検討が進みつつあると感じています。まだ検討の最中ではありますが、上昇する河床にあわせて施設の高さを上昇させていくとか、川幅を制限している部分を開放して元の川幅に戻す、という対策案も出されており、少しずつ議論が具体化しています。とはいえ、1年で結論が出るような単純な話ではもちろんなく、特に今年は検討の中心に携わってみて、現状評価や対策の検討といった議論を続けていくことこそが大切なのだとも感じているところです。」
△上高地周辺では、梓川のすぐ傍にホテルや商業施設が立ち並ぶ。
楓「自然災害の影響が近くに迫る環境で、様々なバランスを取りながら議論を前に進めていくのは大変なことですね。改めて、この河床上昇への対応も含めて、上高地ビジョンの取り組みを進めていくために、どんなことが大切だと大嶋さんは思われますか?」
大嶋さん「ビジョンを前に進めるという意味では、『協働型管理』の実現を目指して、関係事業者が同じ視点に立ち、『上高地ビジョン』を横串にして進めていくことが何より大切だと考えています。おこがましい言い方かもしれませんが、個人的には、上高地に関わるあらゆる行政や企業を国立公園運営の一部門としてそれぞれ位置付けていくのが理想であり、そのための上高地ビジョンだと考えています。私はこれを勝手に「オールNPS(National Park Staff)」と名付けて毎日の業務に取り組んでおり、これまた勝手に、よその組織の長やスタッフが何を考えているのか、困っているのかなどに関心を持ちながら仕事をするようにしています。また、現在進んでいる取組み、少し止まってしまっている取組みもありますが、河床上昇に限らず全体を通じ、社会状況や環境の変化に応じて、順応的に対応することも大切ですね。最近は特にコロナ禍の影響がどこでも言われがちですが、コロナ禍関係なく上高地ビジョンを細かく点検したりブラッシュアップしたりすることが必要だと思っています。特に、コロナ以前から観光ニーズが変化しつつあったことを受けて上高地としての観光戦略や魅力向上のための取組についてもっと具体的に盛り込んでよかったと思っているし、もちろんコロナ禍に対応した戦略の見直しなどもあっていいと思います。また、保全のための取組みをもっとアグレッシブに言及して世間に発信したいなとか、いろいろやりたいことを胸に秘めていますが、現実は目の前の課題に取り組んでいくことで精一杯なのが悔やまれます。」
この数年ですっかりと社会状況が変わり、上高地ビジョン策定当初には想定していなかった『今』があります。その一つが、コロナ禍で浮き彫りになった登山道整備に関する課題。これまで主に山小屋が大きな負担を担ってきた登山道整備について、今後の整備のあり方を検討するための実証実験が始まっています。その取組みについてもお聞きしました。
北アルプストレイルプログラム(仮)の実証実験はじまる
北アルプストレイルプログラム(仮)の実証実験は、北アルプスの持続可能な登山道維持管理体制の必要性から、コロナ禍で従来通りの整備を維持する事が難しくなったことを契機に検討を重ね、始まったもの。北アルプス登山道等維持連絡協議会が主体となって進めています。
◇北アルプストレイルプログラム(仮)
楓「この実証実験では、登山道を利用する方へ向けたアンケートや寄付金を募っていますが、目的はどんなところにあるのでしょうか。」
大嶋さん「利用者が登山道整備にどのように参加できるか。その有効性や、導入することでどんな影響や課題があるのかを検討することが主目的です。寄付金を募っていますが、利用者の方に北アルプスの登山道整備に関して、実情と何ができるかを知ってもらうことも大切な目的です。」
△梓川の向こうに見える活火山・焼岳
楓「今回の実証実験をしたその先には、どんな計画があるのでしょう?」
大嶋さん「結果をとりまとめ、本格実施に向けて更に検討を進めていく予定です。今度はシーズンを通した実験も必要との指摘もあり、もう少し実証期間は続くと思っています。アンケート調査も、インセンティブを設けて協力を募る・web以外の媒体を使うなどして、広く意見を捉える必要があるとも考えています。利用者には、登山道がいたまないように歩くといったお金以外の協力方法がある事や自然を利用するのはタダではなくて、たくさんの関係者の努力があって成り立っていることも、あわせて知っていただけたらと思いますね。」
上高地内外のつながりと新たな動き
楓「様々な意見が集まって今後に繋がると良いですね。ところで、利用者目線からすると、上高地周辺から山岳登山エリアは、エリアごとに特徴はあるものの、ひとつながりのものとして捉えられます。登山道等の整備については、山岳登山エリアの山小屋が連携して協議を進めたことで、今回のトレイルプログラム実施へ向けた動きがあるかと思うのですが、山岳登山エリアだけでなく、上高地周辺エリアの事業者さん同志の連携やエリア一体となった動きについて教えてください。」
△梓川の先に姿を現す穂高連峰。登山者は入山・下山口の上高地から見上げるその姿にそれぞれ特別な思いを寄せる。
大嶋さん「現状、各事業者さんはご自身の事業運営をそれぞれこの状況下で頑張っておられます。そこに地域内のコミュニケーションが活発化することで、エリア一体となって同じ視点を持って利用者を迎えることができますし、連携もスムーズになる。そういう意味でもっとエリア内のやりとりが活発化するといいなという印象です。」
楓「そのために、どんなことが必要だと大嶋さんは思いますか?」
大嶋さん「上高地・そして山岳エリアの山小屋の事業者さんを見渡してみると、ここ最近、後継への代替わりがあちこちで進んでいます。個々の特色を活かし、また世代ならではの感覚を活かしながら、国立公園という柱をもって地域としての魅力向上にも思いを馳せていただきたいです。個人的には、この地域は国立公園という概念と相性が良いと勝手に思っていますが、せっかくなら「なぜ国立公園を柱にするのか、国立公園ではない上高地はありえないのか」ということから考えてみてほしいです。そうすることで、より地域としての課題や国立公園制度の課題などがみえてきて、自分が何をすべきか、仲間と何を協力すべきか、行政をどのように動かすべきか、などが明らかになってくると思います。」
大嶋さん「また、上高地内にとどまらず、周辺エリアとの連携も必要と考えていますが、そういうところでは、、『上高地・沢渡・平湯トライアングル検討』が進んでいます。「サービス」「プロダクト」「受入環境整備」という3つのテーマで分科会を設けて、エリアを横断して意見交換・検討が始まったところです。周辺エリアと連携を取り、有効なアピールを探りつつ、相互の魅力向上につなげていけたらと考えています。」
上高地の5年後・10年後のために今向き合うこと
上高地の担当になられて3年目。今年度でこの地の任務が最後になるかもしれないと語る大嶋さんに、あえて5年後・10年後の上高地の未来に思いを馳せていただきました。
△上高地の未来について話す大嶋さん。 今年10月に上高地の事業者の方と一緒に涸沢への登山をしたそう。
大嶋さん「ありきたりですが、この素晴らしい自然をより多くの人に末永く楽しんでもらうということは多くの人の共通項ではないでしょうか。そのためには上高地で事業をする人が前向きに上高地の未来を考えることができて、この地を訪れる利用者の方々に『また来たい』と必ず思ってもらえるような場所になっていることが理想です。上高地の担当管理官として、人や自然資源に恵まれた素晴らしいこの地で職務を果たせることは、本当にありがたいこと。とはいえ、環境省の人的・時間的に制約のある中で、山積する課題に効率的に取り組むには、地域のパワーと理解が不可欠です。そのパワーが持続可能な形でうまく機能しつつ理解を促進するためにも、協働型の管理体制の基盤作りとマネジメントに最後まで注力し続けます。地域や利用者に『ここまで進んだ』と少しは言えるような仕事の仕方をして、次につなげたいですね。」
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上高地では、コロナ禍・大雨や地震等による自然災害・環境の変化等々、様々なインパクトによって、計画当初描いていたビジョンについて順応的に対応する必要性がある一方で、大嶋さんが最後まで力を尽くしたいと言われていた「協働型管理」の体制づくりの必要性については、ますます強くはっきりしたものになっています。ビジョンを共有しながら、行政・事業者・利用者・周辺エリアに住む人、その誰もが人任せにせず、自分にできる事をできる限りすることで、このアルプスの地を支え合うこと。その地道なアクションと、地域の担い手を拡大しつつ繋がりの糸を紡いでいくことの大切さを目の当たりにしました。また、ご自身の役割を全うしようとする大嶋さんの姿から、「今日、この地のために私は何ができるだろう。」そんなことを改めて考えさせられるのでした。
写真:ハナ・マカリスター
聞き手・文:楓 紋子
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