取組インタビュー #9

16分

「山小屋と考える 山岳の利用環境」

 ~山小屋・行政・登山者で分かち合う 登山環境のこれから~

古くから多くの登山者に愛される山岳地、中部山岳国立公園(北アルプス)。一級山岳地という特殊な環境において、その利用環境を維持するために山小屋が担う役割は多岐に亘ります。そこには、これまでも様々な問題が潜在していましたが、2019年末から続くコロナ禍は、登山をめぐる環境にも影を落とし、山岳の利用環境を維持するための課題が顕在化することに。山岳の利用環境の今とこれからについて、北アルプス山小屋友交会の会長で横尾山荘 代表取締役の 山田 直(やまだ ただし)さんにお話を聞きました。

△山田 直さん

北アルプスにおける山小屋の役割

楓 登山者に人気の槍穂高連峰の登山口にある山小屋・横尾山荘のご主人である山田さん。北アルプスの山小屋の役割について改めて教えてください。

山田さん 山小屋が担う大きな役割は、利用環境の整備です。先ずは、厳しい立地条件に即した形で登山者が快適に過ごせる宿泊施設としての機能を維持しなければなりません。その上で、登山道の巡視・補修・トイレの管理や遭難救助・遭難を未然に防ぐための啓発・緊急時の受け入れ等、利用環境を維持するための公的な役割も担っています。その費用は、これまで事業収益の一部と労務負担によりまかなってきました。

△登山道における崩落除去作業の様子

楓 そこに来て、コロナ禍が従来通りの維持管理体制を続けることを更に難しくしているわけですね。昨年北アルプスの山小屋は例年の2か月半遅れの営業開始。今年も宿泊定員を大きく減らし、予約制を徹底して営業を開始されたとのことですが、現状はいかがでしょうか。

山田さん 北アルプスの山小屋は連携し、感染防止を目的とした統一のガイドラインを作成して営業にあたっています。山小屋としては、出来得る限りの感染防止対策を実施して夏山シーズンを迎えるところですが、山岳地における救助対応の難しさを考えると「どうぞお越しください」とは言いにくい。宿泊定員を減らしていることからも収入の見込みは厳しい状況です。だからと言って、経営状況に関わらず、環境整備をしないわけにはいきません。今後、登山環境の維持を持続可能なものとするために、管理に携わる行政機関・山小屋・登山者とで課題を共有し新たな枠組みを作る必要があることを、様々な場でお話しているところです。

△登山道における桟道工事の様子

持続可能な登山環境とは

楓 持続可能ということについて、もう少し詳しくお聞きしたいのですが、山田さんが考える「持続可能な登山環境」とは具体的にどういうものでしょうか。

山田さん 一級山岳地ならではの特殊な条件の中、利用者の準備が大切なのは、時代がどう変化しようと変わりません。なぜなら、山の険しさは時代に関わらず揺るがないからです。「自分の力で入って、自分で出る」という当たり前のことを利用者が認識した上で、山への畏敬の念をもち、実力に合った登山計画を立てたり、体調管理をしたり、地図や気象を読んで判断(引き返すことも含めて)ができることなど、それなりの心構えや慎重さを持つことは基本です。

山田さん そして、「登山は自己責任」という前提に立ちながらも、登山道の整備水準を維持し安全対策を充実させ、快適な登山環境が提供できるような行政による直接的な管理体制が必要であると、私は考えます。適正利用を目的とした山域のルールをもとに、行政機関、利用者、山小屋事業者が連携していく枠組みが機能することが持続可能性に繋がると考えています。

楓 そこが機能していくと、北アルプスの山岳環境はどのようになっていくでしょうか。

山田さん 適正な利用が促され、貴重な自然環境の保全につながっていくことを期待しています。ただ、適正な利用と言っても、とりあえず規制をかけようということではありません。潜在する価値を認識し、文化的な背景を理解した上での、山域にふさわしい取り組みが必要です

△風倒木の除去作業の様子

山田さん かつては社会人山岳会や学校の山岳部などの組織に所属しての登山スタイルが主流の時代がありました。それが時代と共に変化し、個人登山が増加する中、準備不足のまま山に入る人が増えている現状があり、安全やマナーへの危惧があります。山岳地を楽しむためには、しっかりとした計画が必要ですし、「ルールを守った上で入山してくださいね」という基本姿勢と共に、利用者の責務についても、今あらためて明確化する必要を感じています。そしてまた、利用環境を維持するための取組みの一つとして利用者協力金制度の導入が検討され始めています。

北アルプスの理想的な未来と大切にしたいこと

楓 ありがとうございます。これまで、北アルプスの山小屋の役割、コロナ禍の影響やそこで明らかになった登山環境の整備に向けた課題、そしてそれを持続可能なものにしていくための枠組みの必要性などについてお話いただきました。最後になりますが、山田さんご自身は、北アルプスの山岳環境の理想的な未来について、どんな風に思い描いておられますか?

山田さん 「Birthplace of the Japanese Alps」 という言葉に集約されるでしょう。日本の登山文化発祥の地として貴重な自然環境が保全されていること、利用環境の快適性を維持できていることはもちろんですが、先人から受け継いだ登山文化を大事にしていたいですね。頂へ到達することは登山の純粋な動機ですが、そこへ到達するためにかける時間や事前準備(装備・知識・スキルなど含めて)は、この地の価値や登山の満足感、安全性にも大きく影響します。山小屋で過ごす時間をじっくりと味わいながら、利用者も山小屋のスタッフも、それぞれの思いを大切にして楽しめていることが理想です。

△山田さんの山行の様子

楓 それぞれの思いを大切にしつつ、今に至る登山の時間を楽しむ……素敵ですね。ところで、先ほど登山文化を大事にされたいというお話がありましたが、山田さんが特に大切にされたいのは、どんなことでしょうか。

山田さん 現代は情報がたくさんありますが、先人たちが残した山岳図書の中にある文章や、絵画の中の「自然の描写」は心に留めておきたいですね。水の流れ、風の音、山の高さや険しさ、季節の移ろいなど、先人たちの自然の描写は本当に素晴らしく、心に響きます。「自然を感じる心」が表されているからでしょうか。山歩きをするからこそ得られる非日常の愉しみを知り満喫することが、日常における景色や自然を見つめる眼差しが変化するきっかけにもなるのではと思います。

楓 ありがとうございます。山や登山に関わる人との出会い・経験が豊富な山田さんだからこその「自然を見つめる眼差しを大切に」という、その一言の重みを感じました。北アルプスで得られる「見る・聞く・知る・出会う・学ぶ・感じる……」そんな特別な自然体験が、持続可能な山岳環境を形成する上での取り組みのベースにあるという大切なことに、改めて気づかされたように思います。貴重なお話、ありがとうございました。


山田直さんプロフィール

学生時代から岩壁登攀に傾倒し総合的な登山を経験。近年は登山文化の継承、安全登山の普及に努め、周辺登山道の整備にも尽力。2017年北アルプス南部地区遭対協救助隊長に就任。

北アルプス南部地区山岳遭難防止対策協会 救助隊長

北アルプス山小屋友交会 会長

横尾山荘 代表取締役

※本文中の写真は山田さん提供

(楓 紋子)

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